介護職 ”しんどい”の本音

心と体のこと

介護は「体力」より「心」がしんどい。看取りや認知症と向き合ってきた私の本音

介護の仕事の”きつさ”というと、まず腰や体力の話が思い浮かぶと思います。もちろんそれもきついんですが、私が現場にいて一番こたえたのは、実は体じゃなくて心のほうでした。

オムツ交換も入浴介助も体力的にしんどい。でも、じわじわと自分を削っていくのは、目に見えない精神的な負担のほうなんですよね。今回は、その「心がしんどい」の中身を私の体験を元に正直に書いてみます。看取りや認知症対応のこと、そして、私がどうやって自分を保とうとしていたか。今まさに消耗している人に、何か届けばと思います。

何が、一番精神にくるのか

私の場合、精神的にこたえる場面は、大きなところはこのふたつでした。

一つは、職員間の人間関係。 これが正直、一番大きいです。思いもよらないところで、思いもよらないことを言われる。「そんなところまで言ってくる?」という瞬間があって、そういう時に「マジか……」と心が削られます。身体介助のしんどさとは種類の違う、じわっとくるダメージです。

もう一つは、利用者さんへの対応などが上手くいかなかった時。 介護の役割って、突き詰めれば「利用者さんが安心して、怪我なく事故なく過ごせるように支える」ことだと思うんです。だから、その安心・安全を自分が崩してしまった時は、本当に落ち込みます。私は爪切りが下手で、痛い思いをさせてしまったことも何度かありました。そういう時、「自分、介護やってていいのかな」と考え込んでしまう。ご家族に迷惑をかけてしまった時も同じです。

体を使う介助のきつさは、まだわかりやすい。でも、こういう「心の削られ方」は、外からは見えないぶん、自分の中に溜まっていくんですよね。

認知症対応の、正直なしんどさ

精神的な負担の話で避けて通れないのが、認知症の対応です。正直に書きます。

同じことを何度も聞かれるのは、もう日常です。「あんた、どこから来たの?」を何十回と聞かれる。中には言葉がきつい方や、強い力で叩いてきたり、食事のお盆をひっくり返したりする方もいます。夜間の不穏もある。そして——一番しんどいのは、帰宅願望です。

「帰りたい」というのは、本当に日常茶飯事なんです。それはそうですよね、みんな家に帰りたいに決まってる。頭ではわかっているんですが、何度も何度も「帰りたい、帰る」と言われ、施設の中をぐるぐる歩いて出口を探し、扉を開けて外に出て行こうとする。それをなだめ続けるのは、正直かなり疲れます。「もう帰ります」と勝手にドアを開けて出て行こうとする方には、本当にどう対応したらいいのか、いまだに”これだ”という答えが見つかりません。

暴言や暴力は、まだ対処の余地があります。言葉はあまり真に受けない、暴力は距離を取って身を守る。でも帰宅願望と不穏は、そう簡単にいかない。

対応として私がやっていたのは、こういうことです。頭ごなしに否定しない——「誰かいる」と言う方に「誰もいませんよ」と返すんじゃなくて、「そうなんですね。じゃあ私、ちょっと様子を見てきますね」と一度受け止める。帰りたい方には、その理由を聞いてみる(聞ける状態じゃない方も多いんですが)。何か不安があって帰りたいなら、その不安を取り除く方向で考える。あるいは「お迎えの車が来るので、それまでこれ手伝ってもらえますか」と、別の作業にそっと気をそらす。

ただ、正直に言うと、気をそらしても効果は一時的なんです。その人にはその人なりの理由がある。本当に帰宅願望が強い方には、何をやっても効かなくて、結局そばで見守って付き添うしかないこともありました。ここは、きれいな解決策があるふりはしません。私も、いい方法があるなら教えてほしいくらいです。

一つだけ言えるのは、症状の奥には必ずその人の理由がある、ということ。困らせようとしているわけじゃない。そう思えるかどうかで、対応する側の気持ちも少し変わってくる気がします。

心は、気づかないうちにすり減っていく

「どういう瞬間に心が折れるのか」とよく聞かれるんですが、実は”この瞬間”みたいな明確なポイントは、あまりないんです。知らず知らずのうちに、少しずつすり減っている。

流れとしてはこうです。疲れが溜まってくる。その状態で仕事をすると、うまく動けない。うまくいかないと「自分、ダメなんじゃないか」と自分を責め始める。そこに職員間のことや、利用者さんへの対応がうまくいかなかったことが重なる。すると、メンタルのゲージがどんどん減っていく。一つひとつは小さくても、いろいろ絡み合って、ズルズルと引きずってしまうんですよね。

さっきの爪切りの話もそうです。うまくいかないと「自分、向いてないのかな」とネガティブになる。この積み重ねが、じわじわ効いてくる。

看取りと、死との距離感について

ここは、少し誤解されそうな話を正直に書きます。

特養では、看取りが多かったです。私も何人もの方を看取りました。そして正直に言うと——利用者さんが亡くなることに対して、私はある程度「割り切れる」ようになっていました。

冷たく聞こえるかもしれません。でも、これには理由があります。医師や看護師と同じで、介護職も、一人ひとりの死にいちいち打ちのめされていたら、仕事が成り立たないんです。目の前には、今も生きている他の利用者さんたちがいる。その人たちのケアに向き合うためには、ある程度の距離感が必要になる。それに、仕事として関わった、数年あるいは1年にも満たない付き合いの方が亡くなっても、立ち直れないほど悲しいかというと、正直そこまでではない。これは、私だけじゃなく同僚も同じ感覚でした。

ただ、最初からこうだったわけではありません。何人も看取っていく中で、少しずつこの距離感を身につけていった、という順番です。初めての頃は、やっぱり違いました。

そして——割り切れるようになっても、送り出す時の気持ちは、いつも同じなんです。

「長い人生、本当にお疲れ様でした。どうか、ゆっくりお休みください。」

私が言えることは、これくらいしかない。ご家族以上の何かを、私が言えるわけでもない。でも、この「お疲れ様でした」という気持ちだけは、割り切りの中にあっても、消えることはありませんでした。割り切ることと、敬意を持って送り出すこと。この二つは、ちゃんと両立するんだと思います。

どうやって、自分を保つか

さて、精神的に消耗した時、どうやって自分を保つか。

正直に言うと、私はこれがうまくできなくて、最終的には介護の現場を離れました。だから偉そうなことは言えません。でも、離れたからこそわかったこともあります。

一番伝えたいのは、消耗している時、家で塞ぎ込むのは絶対にやめたほうがいい、ということです。

疲れている時ほど「ゆっくり休もう」と思って家にこもりがちなんですが、これが逆効果なんです。体は休めても、頭は勝手に仕事のことをぐるぐる考え始める。ネガティブな考えって、隙を見つけると入り込んでくるんですよね。私はインドアで家で過ごすことが多かったので、今思えば考える隙を与えてたんだなと思います。考える時間を持てば持つほど、悪いほうへ悪いほうへと引きずられていきます。

だから私のおすすめは、とにかく外に出て、体を動かして、声を出すことです。近場でいいので、ちょっとした旅行や温泉。カラオケでもいい(一人カラオケ、いいですよ)。行ったことのないインディーズのライブやアイドルのライブに、安いチケットで飛び込んでみるのもいい。猫カフェで動物と触れ合うのもいい。とにかく、考える隙を自分に与えないことです。

私が当時やっていたのは、ぶらぶら出かけたり、釣りに行ったり。何かに集中していると、余計なことを考えずに済むんです。もちろん、ちゃんと眠れるなら寝たほうがいい。でも、考えすぎて眠れないような時は、寝ようとするより、別のことをして気を紛らわせたほうがいいと思います。

最後に・・・

精神的に消耗しているということは、必ず何かしらの要因があって、ダメージを負っているということです。だから、まずはリフレッシュして、回復することが先決です。

疲れが溜まると、思考はどうしてもネガティブなほうへ行きます。そして「自分はダメだ」と自分を責め始めると、そこからさらに消耗していく。トゲが刺さって、そこから毒が回っていくような感じで、どんどん苦しくなる。だから、そのループに入る前に、まず発散してほしいんです。

近場の温泉でも、カラオケでも、ライブでも、猫カフェでも、なんでもいい。前向きに考えられるならそれが一番ですが、もしネガティブなほうに引っ張られているなら、無理に考えようとせず、まず考える隙をなくすこと。それに尽きます。

心がすり減るのは、あなたが弱いからじゃありません。それだけ真剣に、利用者さんと向き合ってきたからです。だからこそ、自分のことも、ちゃんと大事にしてあげてください。まずはリフレッシュから、で大丈夫です。

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